1945年 7月 七夕の前夜、アメリカの軍隊によって、1127人の市民が殺されました。甲府市のほとんどが、真夜中の空襲で破壊されました。

私は今、日本人の皆さんがアメリカ人である私を、歓迎して下さっていることに感動しています。 そして今日、アメリカと日本の二つの文化が、平和であることに感激しています。

私は、アメリカの軍隊が沢山の痛みを与えた所に、アメリカ人が住み、甲府空襲を追悼するプロジェクトをつくることが、償いの行為であることを学びました。 私は敢えて今回のプロジェクトを選びました。それは、過去のそのような教訓があるにもかかわらず、私達が住むこの世界には、まだ完全な平和がないからです。

私は、甲府空襲で殺された人々を表現するために、透明な紙で短冊をつくりました。 短冊の長さは、殺された人々の年齢を現しています(短い短冊は4人の幼児を現し、長い短冊は93歳の女性を現しています)。

私はそれぞれの短冊の上部に針を使って手で、桃の果実を形取った多数の穴を開けました。桃を選んだのは、山梨県が桃の産地で有名であるからです。そして、山梨県の発展と県民の皆さんの活躍を願って、人々を桃にたとえて穴を開けました。

多数の短冊の上端と下端が、ギザギザになっています。それは、人の命の誕生と死は各々が異なり、戦火で命を失う人などがあり未知数である、と言うことを意味しています。又、人生は短く有限である、と言うことも意味しています。

The tanzaku are aligned along a north/south corridor so viewers see the installation from either the east or the west.

The peach pit in the middle is composed of 284 holes and the one on the left is made of 295 holes. Each tanzaku is 6cm wide.

私は、甲府空襲を痛み平和を願って、漢字を使って 漢詩を書いてみました。

東洋と西洋が同じ考えで真実を求めていることを証明するために、紙の表側と裏側の両方から詩が読めるように、透けた紙に漢詩を書きました。

当時37歳だった犠牲者を現している短冊には、古風な深い赤色の絵の具で、その漢詩を書きました。

私が37歳にこだわるのは、このセットを作成したときの私の年齢が37歳であることと、当時37歳で犠牲になった人々との、繋がりを持ちたいと思ったからです。

この作品の中にはアメリカの詩人、ルース・ウイットマンの「西はどこですか」の詩が、このセットの一部を成しています。 この詩は、彼女の死後も彼女の子供達によって、彼女の人柄や作品が受け継がれています。 私もこの詩が今後も忘れられることが無いことを願って、私の作品に引用しました。

Special thanks to 中村 京子 Miyako Nakamura for her thoughtful translation of this poem into Japanese.

Where Is the West
by Ruth Whitman

If my boundary stops here I have daughters to draw new maps on the world they will draw the lines of my face they will draw with my gestures my voice they will speak my words thinking they have invented them

they will invent them they will invent me I will be planted again and again I will wake in the eyes of their children’s children they will speak my words

西はどこですか
ルース・ウィットマン、アメリカの詩人

私の境界がここで終わっても 私には世界に新しい地図を描く娘たちがいる このこたちは私の顔の線を描きます このこたちは私の身振りで私の声で表現します。 このこたちはあなたに私の言葉で話し、自分たちがその言葉を生み出したと信じます

娘たちは自分自身を作り出し、 娘たちは私を作り出し、 私は種となりなんどもなんども地面に蒔かれる 私は彼らの子どものさらに子どもたちの瞳に輝き、 その子たちは、私の言葉で、話します

I obtained information about the air raid from the Yamanashi Peace Museum in Kofu. The museum displays the names and ages (when known) of the civilians killed in the air raid. I want to express my gratitude to the director of the museum, the people of Kofu who gathered these materials, and 坂本 泉 Izumi Sakamoto and 三森 なぎさ Nagisa Mitsumori at AIR-Y for their assistance with this project.

文責:北杜市 内藤しのぶ